親父が亡くなるまでに取った行動

前回に引き続きで、僕の実家が崩壊した後に買い手が見つかり、無事に事を終えたのですが、その後も引き続き僕の悩みは尽きませんでした。

それは親父や叔父の面倒なのです。

前回、実家が崩壊したあとに、ただの居候人だった叔父は実家が買い手に渡った以上、出ていかなくてはなりません、つまり住むところを失ったのです。

この叔父の話は長くなるので次回しますね。

一方、叔母はハッキリと「私は結婚していて別姓だから全く関係ない!」と言い放ち、近くに住んでいるので最低限、僕には連絡はしてくるのですが、当然何もしようとしません。

いろいろ言いながらも、僕に「あんたが全て責任を持たなくてはならないからね!」と言うのです。

厳格に言えば、正にその通りなのです。自分が責任を負わなければならない立場だったのです。

それでも叔母は、親父が倒れたり、老人ホームに入るときは、いろいろとしてくれていました。

その理由は、親父と叔母、つまり兄と妹の関係の絆が深かったのかもしれません。

親父が認知症で寝ているときに幻覚を見るようになり、徘徊していると連絡ももらったりもしました。

そういう事もあり時々、僕の母を連れて様子を見に大阪から福岡に様子を見に行ったりしてました。

親父が倒れた経緯

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前回と話が重複するところがありますが、聞いてくださいね~

ある日、僕の親父が倒れたと大阪にいた僕に叔母から一報が入りました。

話していたように当時、実家は親父と叔父の2人住まいで、親父は50m隣にあるデイケアに通っていました。

もうだいぶ認知機能も衰えていたので、デイケアの担当者が多くの薬を薬箱に分けていてくれていました。

薬の管理していたのは叔父でしたが、ある日、薬を飲ませるのを忘れていて、それが原因で親父が倒れました。

親父が倒れた当日、第一発見者はデイケアで送り迎えをしてくれているスタッフの方です。

すぐさま救急車で救急病院に運ばれ、一命を取り留めましたが、脳の出血場所が悪く半身不随、失語症の後遺症を伴うまでなっていました。

脳出血した原因は、高血圧の薬の飲み忘れだったとのこと。

同じ福岡県に僕が居れば何とでもできたのですが、距離が離れているので、僕は大阪にいて、どうすることもできません。

それを、叔母はどうにかしなさいと言うのです。妬みとも思える言葉です~

推測ですが、実家が崩壊したときに逃げた叔母ですが、実際、僕がいろいろと上手く難を乗り越えて、実家を処分したことに腹を立てていたのだと察しはつきました。

実家には若い時に住んでいた叔母ですから、当然私にも権利があるんだと言わんばかりです。でもその権利はないんです~その権利は僕だけにしかなかったのです。

話は元に戻りますが、いちいち叔母の恨み節を聞いている暇など僕にはありませんでした。

親父を何とかしなければ~と・・

思い切った凄い決断

ここでも僕は凄い決断をしなければならなかったのです。

それは親父を僕が住んでいる大阪に連れてくるという方法です。もうそれしかなかったのです!

まず知り合いの新幹線の車掌さんなどにお願いして、新幹線の障害者個室で予約を取り、半身不随の親父を乗せていき、大阪の救急病院に3か月入院させることになりました。

当時、福岡の老人施設にいた親父を新幹線の個室まで抱え車椅子で移動させ、新大阪まで連れていき、そこから介護タクシーに乗せ救急病院まで連れて行ったのです。

親父の病状の方は、半身不随と失語症の後遺症はあるものの安定してました。

いろんな手続きがあり、全て一人でしなければならなかったので、とても大変でした~

親父は最初、「何故、大阪に連れてきたんか!」と怒っているような顔をしてましたが、しばらくして諦め顔になり、そこの病院の個室でしばらく居てもらうことに・・

3か月後、そこの救急病院で、亡くなるまで入れる面倒を受け入れてくれる一般病院を紹介してもらい、そこでずっと入院することになりました。

僕と母は時々、見舞いに行く程度で、そんなに大変なことはなかったのですが、病院で過ごせたのも約8か月という短い期間でした。

親父が亡くなった

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ある程度、病状が安定していた親父でしたが、そんな日は瞬く間に過ぎ去り、ある日突然に病院から危篤になったという携帯電話が入りました。

すぐさまに病院へ向かい、着いたときには危篤状態で担当医の先生から説明を受けていたのですが、その時に心電図の波形のモニターが急に下がりだし、

先生が慌てて、親父の病室に向かい直ぐに心肺蘇生にかかりましたが、呼吸は戻らず、そのまま逝ってしまいました。

おそらく親父が看取られたいと、僕や母が病院に来るのを待っていたのではと感じはしてました。

今考えれば、親父を大阪に連れてきて良かったのかどうか悩ましい事でしたが、これも同じ姓である僕の使命だったのかも・・・

でも最後まで、80歳の親父を面倒を見れて良かったと思ってます~

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