実家の崩壊と親父や叔父の面倒

僕の実家は福岡は博多にあったのですが、うちの親父と叔父が2人で住んでました。

親父はうちの母が大阪に出るときには、当然、実家であるので実家に住み続けることとなりました。

僕と母が大阪に出る当初、手が震えるパーキンソン病を患っていたのですが、50m隣にある老人施設に通所リハで通っていました。

福岡県西方沖地震

そんなときに、2005年に福岡県西方沖地震が発生して、80年間の歴史のある実家が斜めに傾いてしまったのです。

実家の真後ろには、駐車場があり、月極で駐車している車も多数ありました。

家自体が古いので、地震に合うとたまったものでありません。地震が終わった後に家自体が傾いてしまったのです。

お金や保険があれば、建て直したり、保険で修繕したりすることができるのですが、そういうものは一切ありません。

その実家の家の状態を放置し、周りに迷惑をかけないようにするしか手がないのです。

なので傾き斜めになった家は、ブルーシートなどの対策をし、そのままの状態にしなければなりません。

その時は、僕や母はもう大阪に来ていたので、福岡の親父の兄弟姉妹や親戚に任せるしか手がありませんでした。

しかし、姉妹も自分の実家なのに何もしようとしませんでした。姉の旦那さんが別姓だから、実家がどうなろうとうちは関係ないと言い放ったそうです。

言われてみれば、確かに結婚して別姓になったのはそうでしょうが、近くに住んでいるので何かするのが筋というものと思ったのですけども・・

僕が自分や母は、もう大阪に引っ越しているのだから、そんな大阪から福岡までの距離を行ったり来たりして、するなんて現実的でない。

誰に聞いても、そりゃー近くの姉妹や親戚が何とかするのが本当じゃないかと言いますよね~

案の定、父がパーキンソン病の病気して、老人ホームに入れたのはいいんですが、実家には斜めになった家に、飲んだくれの叔父が一人住み続けたのです。

叔父としては、小さいころから住み慣れた実家なのですが、弁護士が言われるには、ただの居候人だということでした。

そんなある日、一本の電話が鳴りました。その姉妹の姉からの電話でした。

親父が倒れた

blue light, siren, ambulance

親父が脳出血で倒れて救急車で運ばれたと・・相当悪かったのですが、何とか一命は取り留めましたが、しかし、出血場所が悪くて、失語症と半身不随を引き起こしたのです。

その後が僕にとって大変なことが待ってました。実家の名義の姓が同じなので、実家に起こったことは僕自身にすべて降りかかることになったのです。

福岡で病院に入院している親父をどうするのか、地震で傾いた実家をどうするのか、全て僕が解決しなければならなくなったのです。

まず親父の方ですが、当時福岡の病院の方でも期限付きで受け入れるところがあったので、そこでしばらく入院をさせることにしました。

しかし月に一度、大阪から博多まで出向いて、病院でサインをしてこなければならなかったのでそれだけでも大変でした。

そうしている間に実家のほうも、何とかしなければならなかったんです。

とてもじゃないけど、不動産のことなので全く法律的にどうなのか、わからないこと多く、前途多難であったので、紹介された弁護士に任せることとしました。

不動産屋と弁護士を交えて、いろいろ話をして、力になってくれるということだったので、安堵しましたが、買い手が見つからなくては、どうもこうもできません。
ただ見守るしか方法がなかったのです。

そんなときに奇跡が起こりました!買い手が早々に見つかったのです!話によると前々からうちの実家に目をつけていたようです。

弁護士は少し待ったほうが良いかもということでしたが、実家が瓦は隣の駐車場に落ちるわで待ったなしの状態だったので即刻決断しました。

あと残された叔父や親父をどうしたかということなのですが、話が長くなるので続きはまた次の機会に話してみたいと思います。

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